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運動音痴

絶対に
これだけは書くまいと
決めていたことを書こうと思います

20歳すぎてから
この恐怖とは
あまり縁がなくなったというお話です

うちの両親は
父親→運動音痴(だと思う,多分)
母親→病弱で運動しちゃダメ(だけどスポーツ一家)
そんな両親なので,
私も,姉貴も,幼い頃から
カラダを動かすことには親しみがありませんでした

恥ずかしい話ですが
小学校に入るまで
ブランコの立ちこぎなんて
やりかたすら知りませんでした
鉄棒だってとうとう前回りすらできません
いや小2くらいまでできたっけな?

幼稚園の頃は鬼ごっことか好きでした
だけど小学生になってから
中休み,昼休みの
「みんなで絶対体育館いかなきゃダメ」
あれがいやで仕方有りませんでした
あたしが小1のとき姉貴は小6
二人して図書室に逃げたのを
今も鮮明に覚えてます

何でいやだったかって
当然のことだけど
「出来る者」は「出来ない者」を理解できない
ただそれだけのことです
当然「足が遅いから→捕まえやすいから」
絶対毎日標的になる
自分でいうのもなんですが
小学生の頃はまぢで頭よかったので
あんまりよろしくない子に標的にされてた気がします
一度鬼にさせられたら
もう捕まえられっこないから
やーいやーい,捕まえれないだろ,と
からかわれる毎日
それがとても,とてもいやでした

体育の授業も然り
「学校の先生」というのは良くできていて
上手な子を褒めるのです
世界中どこだってそうでしょ?
「頭のいいひと選手権」は有名じゃなくても
4年に1度のオリンピックとやらは
金メダルとるだけで勲章もらえるって話じゃないですか
きっとあたしと逆で,体育だけが救いだった子もいるでしょう
だけどあたしにとっては地獄だった
出来ないのにやれ,といわれて
出来ないと笑われて
出来る方法すら教えずに
「運動音痴」というレッテルをはって
小馬鹿にして笛を吹いてるオトナを黙って見てた

一番嫌いなのはスキー
三角山から荒井山まで
スキー靴はいて20分以上スキー担いで歩いていって
それだけでもう動けないぐらい心臓が痛いのに
これからこの山を滑れと言うのか
なんでわざわざこんな歩きづらいことを?
誰も理由なんて教えてくれなかった

「いいから降りてこいって!」といわれて
いきなり背中を押されて
一直線に
「立っていられない」とカラダで感じたのは
生まれて初めてで
気が付いたら目も口も顔も全部
雪まみれで痛くて
一瞬たったあとに
頭の上にスキー板がぶっかった
あのトキの痛みを あたしは絶対忘れないと思う

あのときの恐怖が
きっと一生のトラウマなんだろうな
「上級生なんだから滑れるでしょ」
「何年間この山滑ってるの」
わざとぶっかられて
泣きながら眼鏡さがしたこともある

毎年この季節になると
風邪ひいて熱が一生さがらなきゃいいのに
毎晩毎晩 風邪ひきますようにってお祈りした

「やらないから出来ないんじゃなくて?」
なんて,何度も何年間もずっとずっとずっと言われ続けて
そうなのかもな,って思うこともあるけど
だけど,そこにたどり着けない自分をこの23年と11ヶ月見てきたのだ
散々2を付けられ続けて 自分は出来ないと知っているのだ
実際何年もやって 出来なかった自分を知っているのだ

出来たらよかったな,って思うことは沢山ある
だけど,あのときの周りの視線を
何度も何年間もやってもダメだし苦手なことを
もう一度味わうのは,私には恐いことなのです

もうちょっと運動音痴じゃなければよかったのにな
それか,運動音痴でもいいから
もうちょっと あたしを見捨てない誰かが傍にいてくれたら
よかったのにな

と,こんなお話を
目の前にしてあたしが話せるわけないでしょう?

自分の何かを教えるのには
人一倍勇気が必要なのあd

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